「♪しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじの庭は~」
この歌詞を聞いたら、頭にメロディが浮かんでいるかと思います。小さな頃一度は聞いた覚えのあるこのメロディ「證誠寺の狸ばやし」の発祥の地、證誠寺へ行ってきました。
JR木更津駅から徒歩10分。證誠寺に到着しました。

證誠寺は、木更津市で唯一の浄土真宗本願寺派の寺院。昔から木更津市内にあるお寺はほとんどが真言宗でしたが、江戸時代初期に、この地方に移り住んできた人が大阪方面の浄土真宗を信じる方で、その人たちが最初の檀家さんになったということです。
船で木更津に来たということで、この周辺の海沿いには浄土真宗のお寺が多いそうです。
寺内はいたってシンプルかつコンパクト。

本堂・鐘楼・狸塚・童謡碑ほか、筆子塚や句碑があるだけです。
ちなみに、この證誠寺に残る「狸囃子伝説」は、「文福茶釜」「八百八狸物語」とならんで、日本三大狸伝説の1つとなってます。
狸囃子伝説とは…
證誠寺の周辺は、鈴森と呼ばれ木々が生い茂り昼でも薄暗く気味の悪い場所で、夜になると一つ目小僧などの物の怪がでると言われており、人もあまり近づかない場所でした。
ある日、證誠寺に新しい和尚さんがやってきましたが、この和尚さんは物の怪を見てもびくともしませんでした。実はこれらの物の怪の正体は、この鈴森に住む狸たちだったのです。
物の怪に変身しては人を驚かせて楽しんでいたそうですが、この和尚さんがどうやっても物の怪に驚かないため、この和尚さんを驚かせ、怖がらせることができるかと考えた結果、お寺の庭で夜な夜な腹鼓を打って、和尚さんを怖がらせようとしたそうです。
ある夜、和尚さんが庭で賑やかな音がするのを聞きつけて行ってみると、大勢の狸が楽しそうに腹鼓を打っているではありませんか。最初はこっそりと様子をうかがっていた和尚さんも、狸たちの楽しそうな様子に我慢ができずに自分も参加してしましました。
和尚さんは得意の三味線をかき鳴らして狸も負けずと腹鼓を打つ。そんなことが毎晩続きました。
数日後、今日はやけに静かだな、狸たちは来ないのかと和尚さんが庭を見にいくと、一匹の大狸の腹が破れて、死んでいるのを発見しました。それを不憫に思った和尚さんが、大狸を丁寧に葬ってやったそうです。
有名な童謡作詞家、野口雨情の童謡碑
野口雨情が木更津を訪れた際、證誠寺の狸囃子伝説を知り、これを元に童謡を作ったのが「證城寺の狸囃子」です。

ただ、ここで気になることが1つ。このお寺は證誠寺ですが、野口雨情の作った歌詞では「證城寺」と誠ではなく城、という漢字に置き換えられているのです。
この理由には、2説あり、1つは単なる誤字であると言う説。もう一つは、「お寺という立派な場所で和尚さんと狸が一緒に楽しく踊るなんてけしからん!」と言う声があったことから、誠を城という文字に変更して架空のお寺としたためという説。
どちらが正しいのかはわかりませんが、そうやって歌の成り立ち、お寺の歴史を考えるのも楽しいですね。
腹を破った大狸を祀った狸塚
そして證誠寺の一番奥には狸塚があります。

狸が横になったような形をしていると言われていますが、わかりますか?確かに左側が頭、中央の盛り上がっている部分がお腹で、仰向けになっている狸のようにも見えますね。狸塚の手前に狸の焼き物も置かれています。
入り口を入ってすぐの目につく所には大きな鐘楼もありました。

狸たちもこの鐘楼の鐘の音で、時を感じていたり、夜になったからお寺の庭で和尚さんと腹鼓で盛り上がろうとしていたかもしれません。
小さい頃聞いたことのある童謡も元のルーツを辿ってみることで、新しいことを知り、今までよりもっと親近感が沸いたり、違った印象を得ることができるかもしれません。
旅データ
- アクセス:木更津駅(西口)から徒歩5分
- URL:https://www.shojoji.net/
