長崎の歴史をなぞるなら、グラバー邸や大浦天主堂など、華やかな表の面だけでなく、ある意味教科書には載らない隠れた歴史をなぞるのもおもしろいです。
今回訪れたのは花街跡です。長崎市電の思案橋駅から歩いて5分の丸山町に、寛永19年(1642年)から昭和31年(1956年)まで丸山遊郭がありました。
丸山遊郭跡の目印は、丸山町交番とその隣に坂本龍馬像のある丸山公園です。

交番と丸山公園の間の道を登ると、正面に料亭花月が見えてきます。

この料亭は、県指定史跡日程なっており、史跡料亭として現在も営業しています。実はこの料亭は、遊郭時代の引田屋と言う妓楼の建物・庭園の1部を料亭花月に改名して現在も使用しています。

ここに、あの坂本龍馬も長崎滞在中に何度も遊びに来たと言われ、柱には彼が付けたと言う刀で切られた傷が残されています。
毎夜のように、華やかなお座敷遊びが繰り広げられたんでしょうね。料亭なのでちょっとお高いですが、龍馬気分で長崎名物卓袱(しっぽく)料理を味わってみたいものです。
さて、次は花月前の道を左手へ歩いて行くと、右手に「長崎検番」が見えてきます。

長崎検番とは、芸子さんたちを管理・派遣する場所です。丸山町が遊郭としての役割を終えた後、芸子さんたちが花月を始め長崎市内の料亭で、歌や踊りで酒宴に華を添えるようになりました。
現在でも20名ほどの芸妓さんを抱え、営業をしています。2階の窓に掛けられた提灯に登録している芸妓さんの名前が書かれています。
この建物も妓楼であった「松月楼」の建物を譲り受けたと言うことで、その古さは一見の価値ありです。残念ながら訪問した時はお休みだったようで、提灯に灯りは入っていませんでした。
長崎検番の右に細い路地があります。その入り口には「梅園身代天満宮」の文字が。行ってみましょう。両手を広げたら道の壁に付いてしまいそうな細い登り坂の両脇には、風情のある家が並んでいます。

その先にある小さな鳥居をくぐって、1枚。

その奥にお宮と、説明板があります。

ここは正式名称は「梅園天満宮」と言うそうです。きっと遊女達がお参りしていたのかもしれません。

庭には猫がのんびりとくつろいでいました。そう言えば江戸時代、猫は寝子と当て字され、室内で足袋を履かず素足で生活していた遊女達が暖をとるために人気があったそうです。遊女の側に猫…なんだか絵になる気がします。
ぐるりと丸山町を歩いて、ふと空を見上げれば、猫の目のような細い月。

昼間も建物や風景がよく見えてよいかもしれませんが、花街は、やはり夜が風情がありますね。提灯に明かりが灯り、花魁のおしろいがぼんやりと照らされる・・・
そんな風流な景色に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
旅データ
アクセス:長崎市電「思案橋駅」より徒歩5分
