【長崎】当時の建物が復元された「出島」で鎖国を肌で感じる

出島

長崎市内にある出島については歴史の授業で誰もが知っていると思います。鎖国をしていた江戸時代、唯一外国との取引をするために幕府が設営した外国人向けの居留地で、主にオランダとの通商を行っていた場所です。

現在では出島和蘭商館跡として国の史跡に指定されていますが、長崎市の中心部にあり周囲はすっかり埋め立てられて、以前のような海に張り出し塀で囲まれた場所ではなくなっています。

それでもいくつかの建物が復元されているというので、行ってみることにしました。

水門と呼ばれる出島の西側にある門から入ります。2つある入り口のうち写真に見えている右側が輸出品用、左側が輸入品用と分かれていたそうです。

水門

西側は江戸期の建物を復元したエリアで、門を入って最初にあるのがヘトル部屋です。次席商館長の家屋を再現したもので、お土産屋さんと観光案内所になっています。左側に見える道が出島のメインストリートになります。

ヘトル部屋

その向かい側は一番船船頭部屋です。1階は倉庫として使用され、2階はオランダからやってくる一番船の船頭と、オランダ商館の事務員が生活していた部屋がありました。

一番船船頭部屋

再びメインストリートに戻ってきました。裏側から水門を見たところです。当時の格好をした人たちと後ろのビルとのミスマッチが何とも言えません。

水門内側

ヘトル部屋の隣はカピタン部屋で、商館長の居住していた家屋です。カピタンの執務室や住居、接待の場所としても使用されていました。1階は出島に関する展示物があり、2階は当時の様子が再現されています。

カピタン部屋

2階の室内です。畳に洋風家具という和洋折衷な生活だったようです。

カピタン部屋内部

カピタン部屋の正面には拝礼筆者蘭人部屋があります。

拝礼筆者蘭人部屋

こちらではさまざまな蘭学に関する資料が公開されています。解体新書の複製がありましたが、当時の蘭学はほとんどすべてがこのこの地からもたらされたものでした。

解体新書

拝礼筆者蘭人部屋と新石倉の間から正門が見えます。当時唯一陸続きで出島と長崎をつないでいた門です。

正門

この門までが江戸期の建物を復元したエリアになります。そこから暫く復元工事を行っているエリアが続き、東側の明治期の建物が残るエリアに向かいます。

写真右側が旧長崎内外クラブ、その奥が日本初の神学校である旧出島神学校です。どちらも現在は展示室などになっていて、旧居留地時代の展示物などが見られます。

旧長崎内外クラブ

旧出島神学校の前にはミニ出島があります。1820年頃の出島の様子を再現した1/15の模型です。逆に言うと、この15倍の面積しかなかったと言うことになります。

ミニ出島

今回訪れて驚いたのはその面積でした。狭い!公的には江戸期で唯一だった国際貿易の場所がこんなに小さいとは思ってもいませんでした。

当時の貿易額がどれぐらいだったのかはわかりませんが、この地を通じて入ってきた物資や書物が江戸期の日本に与えた影響を考えると、信じられないほどの狭さでした。

建物自体はほとんど復元なので何となく映画のセットのようだったのですが、この狭さには、鎖国というのはこういうものなのだということを実感させられました。

最終的には周囲に水を巡らせ完全に復元する計画があるということなので、その時にはまた訪れてみようと思います。

旅データ

  • 入場料:510円
  • アクセス:JR長崎駅から路面電車(正覚寺行)、出島下車、徒歩すぐ
  • URL:http://nagasakidejima.jp/
うさこ

旅行やおでかけと花の写真を撮るのが趣味です。旅先で撮った写真を加工して遊んでいます。写真を撮るため一人で行動することが多いので、書いた記事が同じように一人で旅する女子たちの参考になれば嬉しいです。

スポンサーリンク

シェアする

フォローする